プロフィール


私の人生の振り返りからのご案内

* 私は人生の長い間 ”私が頑張らねば” ”私が我慢すれば” ”人に頼ってならない”
  いつもこんなふうに自分を追い立てて厳しく緊張の連続で生きてきました。
 そういう気持ちで生きるのが ”本当の自分”と思い込み 人の気持ちを優先するほうが上手く
 人生が進むと駆け抜けてきました。 その結果として心も体もトコトン病んでしまい人生が前に
 進まなくなりました。
  その経験から初めて”自分の気持ちを大切にする” ”自分の心の声を聴く”
 この生き方に変えられて 生きることの自分の色を見つけれるようになりました
 人生の時間は限りがあります。だからこそ頑張りすぎて自分が苦しくて心の声がわからなく
 なっている貴方へ人生を遠回りしないで生きられる為の安心な所へのご案内です。

 ”私が頑張らねば”の心が芽生えた苦しい幼少期

私には年齢が1歳違いの喘息を持病に持つ身体の弱い兄。そして8歳年下の弟。 その真ん中で
健康優良児の私の3人兄弟でした。

それで私は小さい頃から両親より用事を頼まれる事が多くなり女の子なのになんとも逞しい私に身体の弱い兄よりも両親は期待するようになり 私も両親の期待に応えたいとそんな思いから幼いながらも”私が頑張らねば”と自分に言い聞かせるようになっていきました。さらにまた歳が離れている弟の幼いころには母が体調を崩しがちになり 親に甘えられない寂しさを心にしまい自分を後回しにする生き方となっていきました。

「自分が我慢すればうまくいく」と信じていた学生時代

幼い頃から「しっかりした子」「頼られる子」と思われ続けてきた私は、学校でも先生にとって扱いやすい生徒でした。

クラスで問題を起こしがちな子の隣の席になることも多く、「あなたなら大丈夫」と期待されることが当たり前でした。でも、その頃の私は、自分が本当にどう感じているのかを考えたことがありませんでした。   ある日友人からこう言われました
”どうしていつもいつも頼まれると何でも引き受けるの?”

私はその言葉の意味が分かりませんでした。
なぜなら私の中で
嫌だと思っても断らない。
困っている人がいたら自分を後回しにして助ける。
波風を立てないように周りに合わせる。

自分の気持ちよりも相手を優先することが普通になっていたからです。


 「自分の好き」が分からないまま社会人へ

父は厳格で真面目な人でした。

兄は身体が弱く、父に叱責されて萎縮してしまうことも少なくありませんでした。

私はそんな兄を守る役割を自然と引き受けていました。

家族の中でも学校でも、気づけばいつも周りを支え、期待に応える側。

その生き方が長く続いた結果、社会人になった頃には大きな壁にぶつかりました。

「私は本当は何が好きなのだろう」
「私は何をしたいのだろう」

けれど当時の私は、その違和感の正体が分からず、ただ漠然としたモヤモヤを抱えながら前に進んでいたのです。周りの期待に応えることは得意なのに、自分の気持ちが分からない。無難な選択ばかりを繰り返しながら、心のどこかで満たされない感覚を抱えていました。

 ”親や周りの気持ちを優先で決めた結婚でさらに頑張る人生

恋愛においても私はいつも相手を優先していました。
本音を伝えるより相手にあわせる。
自分の気持ちより相手を喜ばせる。
そんな恋愛を繰り返し結婚に大きな期待を持たずにいました。
それでも両親や周囲から望まれたご縁を受け私は結婚を決意しました。しかしその選択もまた
”自分がどうしたいのか”ではなく ”周りが喜ぶなら”という気持ちが大きかったのです。そして結近生活では大家族との同居生活が始まりました。
家事、子育て、家業の支えで良い妻、良い嫁、良い母、になろうと必死でした。
特に義母は何でも完璧にこなす尊敬すべき存在でした。 私はいつか義母のようにならなければと
思い込み「頑張ること」が生きる目的になっていました。  「すいません!!」それが私のくちぐせでした。 どれだけ努力しても自分に自信が持てませんでした。
子供たちの病気や家族の世話や継いだ家業の仕事のサポートと目の前のことをこなすのに精一杯で自分のことはいつも後回しでした。
この状況で一番相談できるはずの夫はいつも ”地元の方との付き合いだ” という理由で仕事が終わると遅い帰宅の毎日でした。 夫からしたら同居であり仕事も一緒の何かと口うるよさい両親のことは全て私にお任せで私の相談には ”知らぬふり ”と言う態度でした。それゆえに段々気持ちに溝が出来て相談するどころか ”自分が頑張れば”という気持ちがここでも強くなっていきました。子供たちにも母親である私の余裕の無い気持ちが影響したようで 娘は二人とも小児喘息とひどいアトピー性皮膚炎の症状が出てしまっておりました。


ある日息子から言われたことが私の心を揺さぶりました。 ”お母さんは心からいつも笑っていなかったね!!” 私は言葉を失いました。
私はいつも家族のために頑張っているつもりでした。けれど自分の心を置き去りに生きてきたんだ!と心の声が沸いていました。  

頑張りすぎて無気力症状へ

さらに義母に認知症状が出てきてからは義母の介護が始まりました。何でも完璧にこなしてきた反動で義母の認知症状は壮絶でした。ついに家族の介護が限界にきて義母を施設にお願いした後に 私の張りつめていた糸が切れたように心も体も動かなくなりました。
”何もする気力が湧かない” ”朝 起きることさえ辛い” これまで出来ていた事が何もできなくなりました。 診断は ”鬱状態 無気力症候群” 私の場合は”薬”による改善は実感できず 心も体もさらに疲れました。人生で初めて ”頑張りたくても頑張れない”自分と向き合うことになりました。

頑張れない自分のどん底からの転機

そんな苦しい毎日の中でも心のどこかに「このままで終わりたくない!!」という小さな声が残っていました。 必死に最後にあるわずかなエネルギーを使って情報を探し続ける中で心が動いたのは 自己治癒力引き出し自分を受け入れるカンセリングでした。初めてご自身も経験があるカウンセラーのかたより 今のあなたの身体からは ”もっと頑張る”のでなく・”今の自分を認めて”・ ”沢山やってきた自分を受け入れて” とあなたへ精一杯訴えているんですよ!と言う言葉のもとにカンセリングをしていただきました。 ここから初めて自分の心に向き合いそして心理学・潜在意識を学ぶうちにやっと氷のように固まっていた私の心は少しづつ溶けていきました

今まで「私が頑張らねば」 「私が我慢すれば」という思いで生きてきた事がそれも人生には必要ですが 本当に必要だったのは誰かの期待に応え続けることではなく 自分の声を聴いて生きることだということが腑に落ちていきました。  そして常に自分の心の声が聴けるようになったと感じたころ娘から ”お母さん変わってきたね! 何があっても家族のシンボルだからね”との言葉でした。 自分の声を聴かずに頑張りすぎてしまうことが逆に家族に重い雰囲気をだしていてさらに心配をしてくれていたんだと気づきました。

それからの私 そして今!

この私の経験から 人はどんな苦しい状況であっても自分で自分のことを諦めなければ立ち上がれる力を持っている事。そして本当に苦しみを理解してくれるのは 同じように悩み、迷い、乗り越えたきたカウンセラーの存在の事。そして何よりも自分の思い込みから自由になり自分の軸で生きられるようになることで “自分らしく自然な人生の流れができるようになる” ことをサポートすることに決めました。

頑張りすぎて自分の事がわからなくなっているあなた!
誰にも”助けて”と言えなくて動けなくなっているあなた!
自分の人生の時間を止めてしまっているあなた!


私と一緒に ご自身の心の軸を見つけて人生の流れを変えていきません!

自分の思い込みでの生きづらさを見つけて生き方を変えていきませんか!

結婚 仕事 家族 子育て 介護を経験した私からのご案内です。



これが私の心からのご案内です!

 



 













    

     

    

    

      

    

    

    

   

    

  

    

    

    

   

 

  

         

    

  

    鬱状態 無気力症候群と診断され精神科からの投薬治療となりました。精神科の

    

   

   

   

  

   

   

 

   この経験から人は心の闇から抜け出すことが出来なくなった時は やはり同じ経験を

   克服したかたに寄り添ってもらう事の必要性と同時に病んでる自分自身が自らを捨てな   い 諦めない事を学びました。

 

  

            

     

  
      

    

 

    

            

   

    

    

      

    

    高校受験において自分では絶対と思っていた志望校に入れず周りの友だち

    が希望どおりの高校へ進んでいく事で初めての挫折感を味わう。

    そのことの体験から何事にも頑張る気持ちに違和感を感じ始めた。

  ⁑20代以降  

    そして何か心の軸がやや折れたような気持ちを持ちながら高校・大学時代を

    両親が安心するような無難な選択し社会人さらに結婚も決めて行きました。

    本当のところ自分の心の中には何か方向性が違っているのではとの思いは感       じてはいたのですが。

    

    そして父親同士が知り合いである事業している家に 義理の両親に気に入られ       て結婚しましたが義父と主人が不仲でそこでも間に入り

    「良き嫁」 「頑張り屋の嫁」の人生を繰り返して義父母の強いパワー

    にも波風立たないように心を殺して子育て 家事 事業へのサポートと夢中        になって日々を過ごしました。しかし

    心の中は自分の感情を殺して何かにいつも追われているような思いがしめて        いました。

    50代の後半に家の全ての権限を握っていた義母に認知症状が出始めて          物忘れ・感情の起伏が激しくなり壮絶な介護となりました。 義父より

    家の全ての事を託されて認知の酷くなった義母を断腸の思いで施設に入れて

    から私の心は感情が無くなり 日常生活すべてのことに力が湧かず体が動かなく

    なりました。頭から大切なコマが飛んでしまった状態で思考停止となり

    鬱状態 無気力症候群と診断され精神科からの投薬治療となりました。精神科の

    薬は飲んだところで好転するよりさらに頭が麻痺してくるので通院も出来なく      り食欲も激変し胃腸の状態も悪くなり心身ともに疲弊してしまいました。

    

  ⁑50代後半以降  

   心身ともにどん底の状態のなかでも心の中の何処かで 何とか抜けたい 何とか

   しなければならない でも力が湧かないとてつもない不安から必死にスマホ

   で自分に必要な情報を沢山時間をかけて探した中で 自己治癒力の療法(人は本来自分   の中に自分を治癒していく力がありそれを引き出す療法)に辿り着きそこで初めて

   自分の心の声を聴く事 今は心身とも歩みを止めて行動できない自分受けいれる事

   この考え方を指導してもらうと氷のように固まっている自分が少しずつ戻っていけた。

   治療してくれた先生も人と感じ方が違いすぎて生きずらくなった経験があるかたで

   この経験から人は心の闇から抜け出すことが出来なくなった時は やはり同じ経験を

   克服したかたに寄り添ってもらう事の必要性と同時に病んでる自分自身が自らを捨てな   い 諦めない事を学びました。

   

   

  

  

   




 他人軸で生きてしまい心を無くした私の人生の逆転ストーリー

  

* 私の年齢は69歳です。来年古希を迎えるシニア世代です。
シニア世代に至るまでの体験・経験があなたのお役に立てばと思い綴ります。

幼少期から”いつも私が頑張らねば“と苦しい気持ちを消して過ごした私

  

私の兄弟は小児喘息の持病がある一つ違いがの体の小さい兄。

8歳年下の弟。その真ん中で頬がまん丸の健康優良児の私の3人

でした。
兄は度々喘息の発作を起こすので必然的に両親は私に何かにつけて用事を頼飲むようになり更に

 

顔がまん丸で顔色良好の健康優良児私。

必然的に両親は身体の弱い兄に代わって(喘息の発作が頻繁でしたので)

私は何かにつけ用事を頼むれる状況で過ごし さらに年が離れている弟の幼少期に無理をした母が体調を崩す事が多くなりいつも ”私が頑張らねば” という思いが幼いころから心に根づいていきました。

親にとっては“頑張る子”は良い子という言葉になり自分の中でもこの姿勢を崩してはいけないのだと思い込むようになりました。その結果が学校生活でも先生にとって扱いやすい良い生徒を続けていました。

   

    

  

    

    が希望どおりの高校へ進んでいく事で初めての挫折感を味わう。

    そのことの体験から何事にも頑張る気持ちに違和感を感じ始めた。

  ⁑20代以降  

    そして何か心の軸がやや折れたような気持ちを持ちながら高校・大学時代を

    両親が安心するような無難な選択し社会人さらに結婚も決めて行きました。

    本当のところ自分の心の中には何か方向性が違っているのではとの思いは感       じてはいたのですが。

    

    そして父親同士が知り合いである事業している家に 義理の両親に気に入られ       て結婚しましたが義父と主人が不仲でそこでも間に入り

    「良き嫁」 「頑張り屋の嫁」の人生を繰り返して義父母の強いパワー

    にも波風立たないように心を殺して子育て 家事 事業へのサポートと夢中        になって日々を過ごしました。しかし

    心の中は自分の感情を殺して何かにいつも追われているような思いがしめて        いました。

    50代の後半に家の全ての権限を握っていた義母に認知症状が出始めて          物忘れ・感情の起伏が激しくなり壮絶な介護となりました。 義父より

    家の全ての事を託されて認知の酷くなった義母を断腸の思いで施設に入れて

    から私の心は感情が無くなり 日常生活すべてのことに力が湧かず体が動かなく

    なりました。頭から大切なコマが飛んでしまった状態で思考停止となり

    鬱状態 無気力症候群と診断され精神科からの投薬治療となりました。精神科の

    薬は飲んだところで好転するよりさらに頭が麻痺してくるので通院も出来なく      り食欲も激変し胃腸の状態も悪くなり心身ともに疲弊してしまいました。

    

  ⁑50代後半以降  

   心身ともにどん底の状態のなかでも心の中の何処かで 何とか抜けたい 何とか

   しなければならない でも力が湧かないとてつもない不安から必死にスマホ

   で自分に必要な情報を沢山時間をかけて探した中で 自己治癒力の療法(人は本来自分   の中に自分を治癒していく力がありそれを引き出す療法)に辿り着きそこで初めて

   自分の心の声を聴く事 今は心身とも歩みを止めて行動できない自分受けいれる事

   この考え方を指導してもらうと氷のように固まっている自分が少しずつ戻っていけた。

   治療してくれた先生も人と感じ方が違いすぎて生きずらくなった経験があるかたで

   この経験から人は心の闇から抜け出すことが出来なくなった時は やはり同じ経験を

   克服したかたに寄り添ってもらう事の必要性と同時に病んでる自分自身が自らを捨てな   い 諦めない事を学びました。