プロフィール


私の人生の振り返り 

* 私の年齢は69歳です。来年古希を迎えるシニア世代です。人生の時間は有限です。

  その限りある人生で起こる大きな山の前で立ち止まってしまい動けなくなっている 

  貴方へ贈る私の応援メッセージです。      

 ”私が頑張らねば”の心が芽生えた苦しい幼少期

 * 私には年齢が1歳違いの喘息を持病に持つ身体の弱い兄。8歳年下の弟。

   その真ん中で健康優良児の私の3人兄弟です。 

   女の子なのになんとも逞しい私に身体の弱い兄よりも両親は色々と期待するようになり

   日常の中で用事を頼まれる事が多かったです。

   また年が離れている弟の幼少期に母親の体調が崩しがちになってしまい

   ”私が頑張れねば” とつねに心に思い親に甘えられない苦しさ*寂しさを幼い頃

   より心にしまう幼少期でした。

  ”自分が我慢すれば上手くいく”と不安な学生時代”

   * 小学校 中学校は地元で学年の一つ違いの兄と同じ学校に通っていましたので

    身体が小さく弱い兄が他のお友達に馬鹿にされていないかといつも気になり兄の教室

    まで様子を見にいき出来ていない事をこっそり手伝ったりまた母が体調が悪く病院へ

    行かなければならないときには弟を公園に連れていき面倒みて母を手伝いました。

    学校の先生からも良い意味でとても扱いやすい生徒の存在となりクラスで一番暴れ者

 として嫌がられてたいた男の子の席の隣はいつも私でした。その頃は自分の中の感情で嫌だとか

やりたくないとかの感情の前に親から先生から頼られる子・芯は強いけれど出しゃばらない子

と評価されてしまって独り歩きしている自分を変えられなくなってしまっていました。

 ある日友達から ”何でいつもいいよって引き受けるの”って聞かれたときにはとても衝撃覚えて

 聞かれた意味がわからずに馬鹿にされたような何とも言えない不安を初めて感じました。

”自分の得意なこと・好きなこと”が分からないモヤモヤを感じながら社会人へ

私の父は大正生まれの典型的頑固で真面目で堅物タイプ。若いころ頃 六人兄弟の長男で兄弟の

面倒をみてきた苦労性タイプなのではみ出たことをしたりする人には大声をあげて怒鳴るようなタ

イプでしたので私も兄も父に対してはいつも緊張しておりました。

 身体の弱い兄はそんな父にいつもカツを入れられて委縮してしまう場面が多く其のたびごとに私

が手助けをするような学生時代を過ごしました。 そのような環境でしたので社会人になって私は

自分が何に興味がありどんな事が好きなのかが掴めずいつも無難な選択をする自分にモヤモヤを感

じ始めました。

 ”親や周りの気持ちを優先で決めて心を失う決婚生活”

恋愛においても無意識に良い自分を作ってしまい相手の事を理解するまでにいかずに終わっていきました。 良い自分を繕ってしまう心の元には 学生の時も社会にでても世の中の波にうまく乗れずに外れてしまう兄の事を変に思われたくなかった事もありましたので 無意識に自分が無難な人生を選ぶ方が安心でした。

そんな自分とは反対に仲の良い友達がは次々と結婚を決めていき変わっていきました。 其のことで両親 特に父は早く良い結婚をして欲しいだろうとまた自分の気持ちよりも親の気持ちを先に思う私でしたが丁度その同じ時期に父の仕事を介して幼いころから面識のある知り合いのかたから自分の息子にあってもらいたいと申し出あり 私の家族(兄の事)のこともよく知っている方である安心感から受け入れて 相手の方は勿論のこと相手のご家族からも是非との思いがあり 父の気持ちも鑑み結婚を決めました。

自分が選んで決めた結婚生活の環境は義父がゼロから立ち上げて築いた自営業。しかも家族が一つにならないと社員の方との繋がりが築けないからと全くの同居でした。 家族全員が其々の役割があり特に義母は家事から事務処理から家や地域とのつながり全てをこなすパワフルな人。私はまるで新入社員のように毎日義母に指導されて新しい家族になるのに必死の日々でした。
慣れてくると義父と自分の主人はまるで考え方が違い性格が合わない様子が分かり時として大喧嘩となることがしばしばあるようになりました。 義父は会社においては社長であるため絶対の権限
があり決断が速い超短気なパワーの持ち主。それに従いながらも慎重に事に当たりたいどちらかという事業家でなく芸術家タイプで自分の進みたい方向を義父却下されたコンプレックスを抱えていました。  義父母は其々に違った強いパワーがあり子育ても始まっていた私は主人と義父の間が
波風立たずに過ぎるように常に神経を使う毎日でした。


    そして父親同士が知り合いである事業している家に 義理の両親に気に入られ       て結婚しましたが義父と主人が不仲でそこでも間に入り

     

    

    

      

    

    

   

    

    

    

  

    にも波風立たないように心を殺して子育て 家事 事業へのサポートと夢中        になって日々を過ごしました。しかし

   

  

    「良き嫁」 「頑張り屋の嫁」の人生を繰り返して義父母の強いパワー

    心の中は自分の感情を殺して何かにいつも追われているような思いがしめて        いました。

         

    

    50代の後半に家の全ての権限を握っていた義母に認知症状が出始めて          物忘れ・感情の起伏が激しくなり壮絶な介護となりました。 義父より

    家の全ての事を託されて認知の酷くなった義母を断腸の思いで施設に入れて

    から私の心は感情が無くなり 日常生活すべてのことに力が湧かず体が動かなく

    なりました。頭から大切なコマが飛んでしまった状態で思考停止となり

    鬱状態 無気力症候群と診断され精神科からの投薬治療となりました。精神科の

    薬は飲んだところで好転するよりさらに頭が麻痺してくるので通院も出来なく      り食欲も激変し胃腸の状態も悪くなり心身ともに疲弊してしまいました。

    

  ⁑50代後半以降  

   心身ともにどん底の状態のなかでも心の中の何処かで 何とか抜けたい 何とか

   しなければならない でも力が湧かないとてつもない不安から必死にスマホ

   で自分に必要な情報を沢山時間をかけて探した中で 自己治癒力の療法(人は本来自分   の中に自分を治癒していく力がありそれを引き出す療法)に辿り着きそこで初めて

   自分の心の声を聴く事 今は心身とも歩みを止めて行動できない自分受けいれる事

   この考え方を指導してもらうと氷のように固まっている自分が少しずつ戻っていけた。

   治療してくれた先生も人と感じ方が違いすぎて生きずらくなった経験があるかたで

   この経験から人は心の闇から抜け出すことが出来なくなった時は やはり同じ経験を

   克服したかたに寄り添ってもらう事の必要性と同時に病んでる自分自身が自らを捨てな   い 諦めない事を学びました。

 

  

            

     

  
      

    

 

    

            

   

    身体が弱くても優しい兄がかわいそうである事

    母に笑顔が増えれば嬉しい事でいつも(頑張る子」が自分になっ

    ており学校の生活でも先生にとって扱いやすい生徒 またどんなタイプの友だち      とも仲良くする いわゆる(良い子)でいることに何も違和感がなく

    私にとってはそれが普通の感覚で中学生までは過ごしました。其の後

    高校受験において自分では絶対と思っていた志望校に入れず周りの友だち

    が希望どおりの高校へ進んでいく事で初めての挫折感を味わう。

    そのことの体験から何事にも頑張る気持ちに違和感を感じ始めた。

  ⁑20代以降  

    そして何か心の軸がやや折れたような気持ちを持ちながら高校・大学時代を

    両親が安心するような無難な選択し社会人さらに結婚も決めて行きました。

    本当のところ自分の心の中には何か方向性が違っているのではとの思いは感       じてはいたのですが。

    

    そして父親同士が知り合いである事業している家に 義理の両親に気に入られ       て結婚しましたが義父と主人が不仲でそこでも間に入り

    「良き嫁」 「頑張り屋の嫁」の人生を繰り返して義父母の強いパワー

    にも波風立たないように心を殺して子育て 家事 事業へのサポートと夢中        になって日々を過ごしました。しかし

    心の中は自分の感情を殺して何かにいつも追われているような思いがしめて        いました。

    50代の後半に家の全ての権限を握っていた義母に認知症状が出始めて          物忘れ・感情の起伏が激しくなり壮絶な介護となりました。 義父より

    家の全ての事を託されて認知の酷くなった義母を断腸の思いで施設に入れて

    から私の心は感情が無くなり 日常生活すべてのことに力が湧かず体が動かなく

    なりました。頭から大切なコマが飛んでしまった状態で思考停止となり

    鬱状態 無気力症候群と診断され精神科からの投薬治療となりました。精神科の

    薬は飲んだところで好転するよりさらに頭が麻痺してくるので通院も出来なく      り食欲も激変し胃腸の状態も悪くなり心身ともに疲弊してしまいました。

    

  ⁑50代後半以降  

   心身ともにどん底の状態のなかでも心の中の何処かで 何とか抜けたい 何とか

   しなければならない でも力が湧かないとてつもない不安から必死にスマホ

   で自分に必要な情報を沢山時間をかけて探した中で 自己治癒力の療法(人は本来自分   の中に自分を治癒していく力がありそれを引き出す療法)に辿り着きそこで初めて

   自分の心の声を聴く事 今は心身とも歩みを止めて行動できない自分受けいれる事

   この考え方を指導してもらうと氷のように固まっている自分が少しずつ戻っていけた。

   治療してくれた先生も人と感じ方が違いすぎて生きずらくなった経験があるかたで

   この経験から人は心の闇から抜け出すことが出来なくなった時は やはり同じ経験を

   克服したかたに寄り添ってもらう事の必要性と同時に病んでる自分自身が自らを捨てな   い 諦めない事を学びました。

   

   

  

  

   




 他人軸で生きてしまい心を無くした私の人生の逆転ストーリー

  

* 私の年齢は69歳です。来年古希を迎えるシニア世代です。
シニア世代に至るまでの体験・経験があなたのお役に立てばと思い綴ります。

幼少期から”いつも私が頑張らねば“と苦しい気持ちを消して過ごした私

  

私の兄弟は小児喘息の持病がある一つ違いがの体の小さい兄。

8歳年下の弟。その真ん中で頬がまん丸の健康優良児の私の3人

でした。
兄は度々喘息の発作を起こすので必然的に両親は私に何かにつけて用事を頼飲むようになり更に

 

顔がまん丸で顔色良好の健康優良児私。

必然的に両親は身体の弱い兄に代わって(喘息の発作が頻繁でしたので)

私は何かにつけ用事を頼むれる状況で過ごし さらに年が離れている弟の幼少期に無理をした母が体調を崩す事が多くなりいつも ”私が頑張らねば” という思いが幼いころから心に根づいていきました。

親にとっては“頑張る子”は良い子という言葉になり自分の中でもこの姿勢を崩してはいけないのだと思い込むようになりました。その結果が学校生活でも先生にとって扱いやすい良い生徒を続けていました。

   

    

  

    

    が希望どおりの高校へ進んでいく事で初めての挫折感を味わう。

    そのことの体験から何事にも頑張る気持ちに違和感を感じ始めた。

  ⁑20代以降  

    そして何か心の軸がやや折れたような気持ちを持ちながら高校・大学時代を

    両親が安心するような無難な選択し社会人さらに結婚も決めて行きました。

    本当のところ自分の心の中には何か方向性が違っているのではとの思いは感       じてはいたのですが。

    

    そして父親同士が知り合いである事業している家に 義理の両親に気に入られ       て結婚しましたが義父と主人が不仲でそこでも間に入り

    「良き嫁」 「頑張り屋の嫁」の人生を繰り返して義父母の強いパワー

    にも波風立たないように心を殺して子育て 家事 事業へのサポートと夢中        になって日々を過ごしました。しかし

    心の中は自分の感情を殺して何かにいつも追われているような思いがしめて        いました。

    50代の後半に家の全ての権限を握っていた義母に認知症状が出始めて          物忘れ・感情の起伏が激しくなり壮絶な介護となりました。 義父より

    家の全ての事を託されて認知の酷くなった義母を断腸の思いで施設に入れて

    から私の心は感情が無くなり 日常生活すべてのことに力が湧かず体が動かなく

    なりました。頭から大切なコマが飛んでしまった状態で思考停止となり

    鬱状態 無気力症候群と診断され精神科からの投薬治療となりました。精神科の

    薬は飲んだところで好転するよりさらに頭が麻痺してくるので通院も出来なく      り食欲も激変し胃腸の状態も悪くなり心身ともに疲弊してしまいました。

    

  ⁑50代後半以降  

   心身ともにどん底の状態のなかでも心の中の何処かで 何とか抜けたい 何とか

   しなければならない でも力が湧かないとてつもない不安から必死にスマホ

   で自分に必要な情報を沢山時間をかけて探した中で 自己治癒力の療法(人は本来自分   の中に自分を治癒していく力がありそれを引き出す療法)に辿り着きそこで初めて

   自分の心の声を聴く事 今は心身とも歩みを止めて行動できない自分受けいれる事

   この考え方を指導してもらうと氷のように固まっている自分が少しずつ戻っていけた。

   治療してくれた先生も人と感じ方が違いすぎて生きずらくなった経験があるかたで

   この経験から人は心の闇から抜け出すことが出来なくなった時は やはり同じ経験を

   克服したかたに寄り添ってもらう事の必要性と同時に病んでる自分自身が自らを捨てな   い 諦めない事を学びました。